| 2008年11月の特別研修会の御案内 | ||
------------------ ※場所:中央大学駿河台記念館 310# (JRお茶の水 徒歩3分)※会場は入口に表示 ![]() ※受付:午後6時より ※時間:午後6時〜9時(○6時から夕食○食事終了後、開催) ※会費:特別研修会につき、A会員校2名まで1人\3,000_他1人\5,000_ 1校5名以上場合1人\3,000_ ※その他:当日の夕食代・資料代等は、会費に含まれております。 申し込み方法:11月10日(月)まで。 メール・fax・電話にて参加者名、人数等をお知らせ下さい。 (期日厳守でお願いいたします。) |
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今後の研修会の日程(予定) 個人の実践報告を企画中。発信者募集中!!ご連絡ください。 | ||
| 12月16日(火)※注!! 私の考える『教育の欠乏論』 文大杉並 野原校長先生 |
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事務局 HVS綜合研究会 安達 征勝 世の中は、何やら、「株安だの、円高だの」騒然としています。 言ってみれば、アメリカで発達した証券化商品が、「『事故米』が混入した米を、正常米として世界中にばら撒くような仕組み」(大和総研主任研究員.田代 英敏氏)で、このアメリカ型の投資銀行モデルが崩壊し、世界中が振り回されているわけです。 これから先、私たちの「生活」がどうなっていくのか、良い方に変わることを願いたいです。 秋本番です。目にした方もおられることと思いますが、新聞に八木重吉の詩が載っていました。 /秋になると、果物はなにもかも忘れてしまって、うつとりと実のつてゆくらしい。/とありました。 ここの、/何もかも忘れてしまって/とはどういうことか少し考えてみました。 全ての自然(のこと)は何もかも、人智の判断ではなく、それを超えたところで”そうなっているのだ”と《気づき》ます。 ここの視点を、認知脳科学者で大阪大学教授の藤田 一郎氏と原始仏教専門で花園大学教授の佐々木 閑(しずか)氏の2人が、「現代人の心のよりどころ」について、『科学と仏教の接点』のタイトルで対談していました。(朝日新聞 2008.10.24 夕刊) 藤田氏:「人間は本当に「自分の意思」で物事を判断しているのだろうか」 私たちは、見て、聴いて、考えて、笑って、泣いて(五感+意識=ことば)判断します。この判断や選択について「1度でも見たものを、見たこと自体を忘れていても、知らず知らずに選んでしまう。」という現象も分かってきた。 つまり、「(これまでの近代的思考)自から判断し、行動しているつもりが、無意識に(経験や神や自然に)支配されていると考えられることを意味します。確かだった”自分”が揺らいでいます。」※( )は筆者。 佐々木氏:「(釈迦は「真理の探求」を熱心に説いていて)”自分”から見た主観的な世界は、錯覚でゆがんでいる。」「それが苦しみの根源だ。だから真の安らぎを得るには自分を中心におく発想をやめ、客観的な真実を見極めることが必要だ。」「主観を排し、客観性を重視する姿勢は、まさに自然科学と同じです。」 つまり、「現代とは『自分という存在は絶対だ』という認識が揺らぎ始めた時代だと思います。他方、現代人は合理的な思考に親しんでいるために、多くの宗教が掲げる”救い主”の存在を信じにくくなってもいます」 このまったく立場の異なった研究者が、同じ土俵の上に乗っての対話で、奇しくも「同じ内容」を語っていることに、私は、強く興味が引かれます。 明らかなことは、私たち1人ひとりは自分の意志を超えて、「空気なし」「水なし」「食べ物なし」では、生物としての生命が、保証されることは有りません。そこで、「生物としてのつながりとしての存在」や「すべてのものは変わる」ことを視点に入れて、その地点を、根底にしていけば、長い間には「新しい宗教観や科学観が生まれるかもしれません」ということです。 10月20日(月)の研修会は、『ネパールとの教育交流・・・千葉明徳学園の報告』でした。 今年ネパールの西部カルナリ県デリィチョール村のリンモクシャ・ハイスクールの姉妹校を訪問された、福中理事長と太田理事の2人の報告でした。福中先生からは、DVDの映像を見ながら、ネパールの解説や現地の学校の様子や子どもたちの姿について説明をしていただきました。「明るい子どもの笑顔は、物質的な豊かさに比例しない」といった感じがしました。 太田先生は、高2生に、ご自身が弁護士という仕事をされている関係から「日本の憲法・特に第9条について」と「日本の社会の事件・秋葉原について」などの授業をしました。(詳しい内容は、まもなく発刊予定の『《気づき》・実践』20をご覧下さい。)9条の説明に生徒から、「では、外国から攻められたらどうするのか?」と質問があったそうです。 秋葉原事件の課題に触れて、「結局、自分とは何か?(What Am I?)の疑問とむきあう」ことなのではないか、と伝えてきたことを報告していただきました。 ※『《気づき》・実践』20の実践報告原稿が入ってきました。東京成徳大高校の野中修也先生の題名は、『北京オリンピックに見る「自分とは何か」』です。 ※次回の研修会は、『教育の欠乏』が叫ばれているなかで、はっきりとしたバックボーンを持つ「私学」が、そうしたことを全学的にどう繰り込んでいるのか、を探ります。 |