| 2007年7月の特別研修会の御案内 | ||
------------------ ※場所:中央大学駿河台記念館 310# (JRお茶の水 徒歩3分)※会場は入口に表示 ![]() ※受付:午後6時より ※時間:午後6時〜9時(○6時から夕食○食事終了後、開催) ※会費:特別研修会につき、A会員校2名まで1人\3,000_他1人\5,000_ 1校5名以上場合1人\3,000_ ※その他:当日の夕食代・資料代等は、会費に含まれております。 申し込み方法:7月16日(月)まで。 メール・fax・電話にて参加者名、人数等をお知らせ下さい。 (期日厳守でお願いいたします。) |
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今後の研修会の日程(予定) 個人の実践報告を企画中。発信者募集中!!ご連絡ください。 | ||
| 8月 休会 | ||
| 9月 千葉明徳高校の「自識学」P-T.Mの予定 |
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事務局 HVS綜合研究会 安達 征勝 (2007.6/18(月)の特別研修会. 参加校 7校.関連企業 1社.参加者総数 12名) 梅雨、まっ只中のはずですが、今年はどうも雨が少ないような気がします。心なしか紫陽花に元気がないようです。これから1ヶ月しっかり雨が降ることを祈ってしまいます。 いつも繰り返していることですが、私たちの会の活動の中心は、「私学とは何か?」その「存在理由」を明らかにしたいというところからスタートしています。それぞれの学校には、「その私学としての存在意義と役割とがあります。」このことを言葉を変えて言ってみれば、「その私学には、その私学としての独自の理念があり、それを実践に変換することが学校としての役割である」ということです。 6月20日(水)、前回の研修会のレジメの資料に使わせていただいた「恵泉女学園」の「学校見学会」に参加させていただきました。当日は、まず、大きな講堂で塾関係者と保護者とが一緒のところで安積先生の「わが恵泉の考える教育について」、創立者 河井 道先生の「恵泉にこめた、存在意義とその役割」と「現在的実践などでめざしていることについて」のお話しがありました。約30分熱っぽく語られていました。(いま製作中の『《気づき》・実践』17でも「恵泉」のことをとりあげさせてもらっています。) 前回の訪問の時(4,5年前)よりも、安積校長には「安心と自身と明るさ」とが入り混じった「暖かさ」を感じました。校舎なども随分と整備され、先生一人ひとりも「とても明るく、いきいきしている」空気が漂っていました。さらに、学内に沢山の保護者がいて、とても「華やぎ、明るく、ゆったり」とした時間と空間とが創り出されているようでした。 安積先生が書かれたものを再度ご紹介しておきます。「その学校の理念(どの様な学校をめざすのか)が、根本的に生徒をどのような存在として見るか。1つの学校の掲げる「生徒観」は、その学校の教育のあり方と方向性を、おもいのほか深く規定する。」(『恵泉』450) さて、私学の「理念」はいま大変な危機にあると思います。約10年前のCI(コーポレートアイデンティティ)やSI(スクールアイデンティティ)ブームと、ここ数年のコンプライアンス(法令遵守)重視の風潮とが「教育の世界」にも及んできたためです。 そのイメージをわかりやすく言ってみれば、「カネのために」は「たとえ法に触れても見つからなければ何でもあり」という腐った社会への「流れ」。 その前代未聞の腐った現象は、「精神的な支柱」よりも、「どう儲けるか」「どうすれば儲かるか」に価値をおき、それが社会全体の「価値」のミッションとなっているのです。そして、守るべきは法律のみなのです。 そんな中でこそ「貴校の理念とは?」「実践とは?」「保護者への説明とは?」、語るべきものを厳しく問い正さなければならないと思います。 先日、河合 隼雄氏も推薦する本の中の、次ぎのようなところが目にとまりました。 「現代は、追放の時代である。それも三重の意味において、現代人はことごとく追放の悲哀をなめている。 一つめは、イエからの追放である。家庭はもはや安住の地ではなくなった。親も子も自分の立場と役割があいまいになってしまい、家庭内ですら自分と他者との関係をどのように維持すればよいかわからないまま、途方に暮れている人は多い。 二つめは、「型」からの追放である。日本は「型」の文化と言われるほど、政治、経済、宗教、芸術、教育などあらゆる分野で、遵守すべき一定の「型」が存在してきた。 三つめは、自然からの追放である。日本人の大多数が、車と人間がひしめきあっている都会のコンクリートの中で、実にせわしない一生を終える。 熊野信仰には単なる民間信仰の一形態という以上の、日本人の精神文化の本質にかかわる何か一貫したものが伏流として流れており、それを正確に描き出すことによって、さまよえる現代日本人が再生するための、一つの大きな指針が得られるのではないか」 (『エロスの国・熊野』町田 宗鳳(法蔵館)) そのような風潮の先駆国家のアメリカでは、人びとが「あまりに多様化した価値観の渦に巻き込まれ」て、「従来の一神教の世界に自分の居場所を見い出せず」に、「神なき現代世界で自分の真の姿」をどう確立したらいいのか。悩み苦しんだ結果、「超越者も救世主もいない、あるがままの世の中にも正しく自己を確立する方法がある」と、「仕事が終わって家に帰り、晩ご飯のあと一息ついたら、書斎や寝室で、一人坐って瞑想する」人が、「選択肢」の多いなか250万人になる一番の仏教国家となっている、というニュース記事をよみました。(朝日 07.6.14 夕刊) ※推薦本『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』伊東 乾(集英社) |